ザビエルさんの独り言

まだ、バックナンバーは、全部拝見しておりませんが、何を書いたらいいでしょうか。
私、伴侍とザビエルやらせてもらってますヤシカです。
後、本番まで1ヶ月ト少し。
他の皆さんが、少しずつ変わっていくのを楽しみながら拝見している今日この頃です。
地域の活性化、演劇の活性化もさることながら、自分の脳の活性化がどちらかというと個人的な優先事項でありまして、アルチューハイマーにならないよう飲む回数を減らさねばと思いつつも、充実した飲み会の大友軍団でありまして、内心いいとこきたなあ、などと聖職者にあるまじき想いも持ってしまった私。
脳のことでついでにいえば、現代人の脳とこの中世大友時代が持っていた、台本の主な流れとなっている、宗麟を代表とする、リベラル派とエザベルさんを代表とする保守派、この二つのせめぎあいは、私個人の脳の中にも絶えず存在するしいつもあたまを悩ましている案件でもあります。
いわば、この劇は、現代人の脳の縮図を描いていると言えなくもない。
個(個人)か集団かという選択をいつも迫られている。
飲みに行きたくないと思っても、やっぱ行かないとまずいかな等等(うそをつくな!!)というような。
当時、ヨーロッパが日本にもたらしたものは、鉄砲とキリスト教、それに付随する音楽、さまざまな文化。
私も、子供のころ、西洋音楽にいかれたように、宗麟さんもどうやらいかれたようです。でなきゃムジカなどという名前をつけたりはしません。
女性に行儀の悪かった、人間宗麟には、こんな側面もあったのです。
ドン、フランシスコという名前にしてもやはり強い影響を受けたのでそれにあやかりたかったのでしょう。
エザベルさんには、気の毒ではあるのですが、やはり、別れて生まれ変わりたかったのか、ことの真偽は知る由もありません。
ザビエルさんは、純粋にキリスト教の布教に精を出していたようです。
当時の日本の仏教の僧たちは、宗麟さんのセリフにもあるようにかなり腐敗していたらしい。その間隙を、お家よりも個人を重んじるキリスト教に突かれてしまった。
それに、宗麟さんも適応するのが早かった。
もともとそういう資質を備えていたのだろうと思います。
政略結婚なんて本人の希望ではなかったのかもしれませんね。

というわけで長い独り言になってしまいました。

では、お次は、世にひょうきん者とうたわれた、安東さんにバトンをお渡しします。